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【江戸から現代の離婚事情】 第2章 江戸時代は再婚が当たり前?
スタッフNによる離婚事情第2章!江戸時代の再婚率はなんと50%以上!離婚の数も多いが結婚の数も多い。「江戸時代の離婚について」ご紹介します。離婚もですが当時の結婚とはどんなものだったのかよくわかります。
前回記事 江戸から現代の離婚事情 第1章 離婚大国!?ニッポン
加盟店事業部スタッフ
江戸時代の女性の再婚率には驚きました。結婚をするうえで仲人の存在はかなり重要だったようだね。
はい!仲人は江戸時代の頃から重要なビジネスでした。全回、江戸時代の離婚経験のある女性の再婚率は50%以上、バツイチ、バツニのお見合い、再婚、当たり前!の時代とご紹介しました。江戸の女性はこんなにも引く手あまただったのでしょうか?その理由をご紹介します。
江戸時代の結婚
当時、夫婦は共働きが当たり前(ここは現代といっしょですね)。そして今でいう結納金は、女性側が支払う・持参するものでした。(結納金ってなに?もらった結納金って誰のもの?使い方は誰が決めるの?)より
つまり夫となる男性にとって、奥さんを迎えるときには家に結婚持参金をもたらし、一緒に働いて二馬力世帯をつくり、子どもができれば産み育てて一族の繫栄に貢献してくれる存在。ちなみに離縁する時には受け取った持参金相当額をまるまる女性側に返金しなければなりませんし、奥さんが持ち込んだ嫁入り道具や私物、着物のたぐいを勝手に処分することは、たとえ夫であっても許されないことでした。
また、当時の価値観において結婚は当事者同士だけのものではなく、もちろん家同士のもの。双方の家のつり合いと体面が重視されました。ただでさえメンツを大切にする江戸庶民、たとえ妻に七去に該当する要素があったとしても、一度はお嫁さんにもらったよそ様の娘に「盗癖がある」だの「不貞をした」だの文言をつけて送り返しては、縁組を取り持ってくれた仲人や、奥さんの実家の顔をつぶすことになります。
結果、夫から妻に渡される縁切り状、いわゆる三行半は、
現代語訳:ご縁が薄かったようですので、今、離婚します。このあと再婚等、思いのままになさってください。
という非常にシンプルなものでした。
夫からの三行半は妻にとっての再婚解禁状。そして当時の江戸は、参勤交代によって地方から独り身の武士が入れ代わり立ち代わりやってくるほか、都市計画の関係で招かれた各地の技術者、大工、商人などの庶民もあわせてたくさん流入。
それはもう強烈な男性余りを起こしていたのです。
現代の婚活にも通じることですが、男女の比率はそのまま結婚難易度のバロメーター。
選ぶ側は選ばれる側に対して強気に出られます。
江戸時代の離婚
江戸時代の離婚エピソードは壮絶です。
離縁状の発行を渋る夫を財政的に苦しめて(要はわざと散財して)ほとんど無理やりに離縁状を書かせたという妻あり。わざと家事を放棄して家の中をぐちゃぐちゃにし、しびれを切らした夫が離縁を切り出すと、即座に愛人と逃げてしまう女性あり。なんと結婚する前から夫に離縁状をもらっておくという猛者までいたそうですから、どれほど気軽に離婚・再婚が行われていたかは想像に難くありません。というわけで、江戸時代の日本を世界有数の離婚大国にしていた理由は、
・経済的、文化的に見て、一族繁栄のための責務を負っていた男性側が結婚を強く求めていたこと
・女性側も、体面や生活のために結婚を必要としていたこと
・お見合い婚の浸透も相まって、独身の男女がすばやく結ばれやすい状況だった
・とどめに参勤交代という制度、および都市計画によって男女バランスが崩れた
その結果、特に大都市圏において女性側から別れを切り出す・別れた女性がその後再婚するケースが増え、結婚しやすく・別れやすく・再婚しやすく・また別れやすい男女が激増、離婚率がものすごく高止まりしていたものと思われます。
こうしてみると「かかあ天下」という言葉の歴史的な重みを感じますね。
ただ、すべての女性が夫に対して強気に出られたかというとそうではありません。当時、夫のいない女性が職業に就き、食べていく道はほとんどありませんでした。仮に自分が江戸に住む女性だとして、夫が気に入らなければ出ていける環境はそれでも、次も誰かと結婚しなければ生きていけない現実と紙一重です。
当時の女性にとって、結婚は文字通り生命線であり、婚活はむしろ今でいう就活に近いものでした。
中には、博打に溺れ暴力をふるう酒乱の夫がどうしても離縁状を書いてくれない、義実家のいびりがひどくてこのままでは生きていけない、というので泣く泣く縁切り寺に駆け込んだり、それも叶わず自らの命を絶ってしまったりする可哀想な女性もいました。
先ほどの結婚前に離縁状をもらっておく猛者にしても、相手や義両親の人となりなんてほとんど分からないままとにかく結婚をしなければ満足に生きていけない社会背景があり、しかも一度結婚したが最後、離婚を切り出す権利が自分側にはほとんどない以上、事前に逃げ道を確保したくなるのは人として自然なことかもしれませんね。
しかし、時は流れます。
参考資料:江戸の城下町では離婚・バツイチが当たり前だったのはなぜか
中学校卒業と同時に就職先が決められ、たとえそこがギンギンのブラック企業だったとしても辞める権利がないような状況と思えばその危うさが身に沁みます 。
明治時代の離婚率
江戸は終わって明治が始まり、開国した日本は西欧列強に並ぼうと大急ぎで「近代化」を進めます。
渋沢栄一の大河ドラマで見たぞ♪
人々の暮らしや思考がどんどん変化していく中、明治政府はいろいろな制度に関しては西欧諸国の法律を取り入れ、いわゆる近代国家を作り上げていったのですが、家族のありように関してだけは江戸時代以来の家制度を残したまま、むしろそれを独特かつ強靭なかたちに進化させる方向に舵を切ります。とはいえそうそう人間は変わらず、1883年(明治16年)の離婚率(人口千対)は3.39%。江戸時代の4.8%に比べればまだマシといえなくもないですが、これは平成期、離婚が急増したと騒がれた2002年(平成14年)の2.30%よりも高い数値です。
しかもこれは一時的なものではなく、明治時代の離婚率はその後も高止まりを続け、明治30年ごろにはやや下がったとはいえ2.87%。しかしこの後、不思議なことが起こります。唐突に、かつ急激に、離婚率が下がったのです。
次回は「離婚しない国ニッポン」についてご紹介します。
離婚する国から離婚しないニッポン。どんな時代に変わっていくのかドキドキです!
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